1571長崎港の開港以来、西洋に開かれた日本の窓として、長崎は、欧州と日本の架け橋の役割を果たし、長くその歴史を刻んできました。その間、長崎には全国各地から多くの有意な人材が集まり、また長崎で学んだ多くの人材が、世界を舞台に活躍してきました。

1960年、長崎に住む5歳の少年が海洋学者である父とともに、英国に渡ります。彼こそが後にノーベル文学者賞を受賞する作家のカズオ・イシグロです。彼が、なぜ長崎出身であるのか、そしてなぜ英国に渡り活躍することになるのか。その背景には、長崎港及び長崎の海洋が深く関係しています

1948年、カズオ・イシグロの父である石黒鎮雄博士は、長崎港を望む長崎海洋気象台に赴任しました。それまでは気象庁中央気象台で、気象の研究に携わっていた石黒博士は、長崎海洋気象台で初めて海洋の研究に携わります。そして、アナログ電子回路モデルを用いた、長崎湾における副振動(いわゆる「あびき現象」)の発生に関する研究など、優れた解析技術と研究成果を残しました。

石黒博士の長崎の海洋をフィールドとした各種の研究成果は、英国国立海洋研究所の注目するところとなり、UNESCOフェローシップとして招聘され、英国留学・東京大学での学位取得を経て、1960年英国国立海洋研究所の研究者として英国に渡ることになります。

英国に渡った石黒博士は、さらなるアナログコンピュータの開発及び潮汐や高潮の解析において、優れた功績を残しました。英国北海全域における高潮の計算による再現に成功するとともに、北海における過去50年間の最大風速を入力することで、50年間の最大潮位を得られる公式を考案しました。これは、北海の海洋開発における沖合の構造物(海底ガス採取塔など)の設計基準を与えることに寄与することとなりました。

「カズオ・イシグロの父」として紹介されることが多い石黒鎮雄博士ですが、長崎の港や海をフィールドとして優れた研究業績を残していたことは、残念ながらあまり知られていません。しかし、この長崎の港や海洋、そして石黒鎮雄博士の業績こそがカズオ・イシグロを英国に導き、のちにノーベル賞作家として大成させる原点となったものであるとも言えます。

カズオ・イシグロは長崎の名誉市民であり名誉県民として表彰されましたが、このカズオ・イシグロが長崎の港や海洋と、このような形でつながっていることを知る人は多くありません。しかし、ここには、長崎の港や海洋が世界とつながる架け橋となった真実の物語が存在します。

今回は、このことを題材の一つとして取り上げ、セミナーを開催し、長崎及び英国の関係者が連携して発信することにより、港や海と歩んできた長崎の歴史と誇りを改めて国内外の関係者及び市民と共有するとともに、海洋再生可能エネルギーの開発において、今また、改めてつながりを深める英国と長崎を紹介し、港と海洋を原点とし未来に向けて発展する長崎を展望していきます。

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